セーラは顔にかかった金の巻髪を払いのけて、素早く立ち上がった。こんな、みっとも無い醜態をなかった事にするべく。丁寧に身だしなみを整える。
「…また、…」
と、呟いて、気がついて慌てて口を閉ざした。いつのまにやら自分はフィンに頼っている。そんな自分にセーラは腹が立った。彼の生い立ちと自分の立場とを重ねて、近親感を抱いていたのかも知れない。フィンの父親は有数の貴族の出身だが、ハーフエルフと結ばれた為に一族からその称号を剥奪されてしまった――と、セーラは噂で聞いていた。あくまでも、生徒間の噂話として。彼女自信も、また…。
セーラはそう考えて…、強く否定した。琥珀色の瞳に強い意思の光が灯る。
わたくしはルーセン家のお荷物じゃないわ。絶対に――。
もう少しよ、ええ、もう少しの辛抱よ。こんな学園に厄介払いされた、わたくしらしからぬ扱いを受けるのは…。
その隣りでは脳天気な様子のリナが水色の瞳をうっとりとさせて、氷に閉じこもっている冬の精霊王を見つめていた。
「あ〜、素敵!! 私、初めてみました。感動でーす!」
至極もっともな事を言って、リナは陶酔していた。
『季節の精霊・冬の書』によれば、この現象は750年周期でおこると記載されていた。冬の精霊王ともなれば、一生お目にかかる機会がなくても決して不思議ではない。
エコはというとこのまま氷床もでいいから、仲良く眠っていたかった。目覚めれば、いつもと同じ学園の1日が始まっていて、それから…。エコは深く長く嘆息した。
自分に問いただしてみる。どうして、セーラのペースにいつも巻きこまれてしまうのかを。セーラと一緒にいると難題が向こうから駆け足で一直線に向かってやって来るというのに、なぜ、傍らにはいつも彼女が? と。
エコは考えを振り払うように頭を振った。考えてみても仕方がない。わざわざ自分から寄っていってるわけでもないのだから。のろりと起きあがる。
何を好んで冬の精霊王はこんな状態でいるのだろう? アイスブルーの瞳は見開かれ、微動だにしない。何を映し出して、何を見ているのだろう? それとも、それは、何も映さない、単なる眠りのまどろみの凝視なのだろうか?
冬の精霊王たる者は…?! まてよ…。
「セーラ、そもそも君の言っていた『おとぎ話』って、どんな内容?」
「…えっ! ああ…、わたくしの聞いたのはね…」
セーラは何故だか彼女にしては珍しく少し躊躇した。その態度をエコは勘違いし、いつもの思わせぶりな態度と受け取ってしまった。こんな事だから彼は、いつも彼女のペースから逃れられないのかもしれない。
『昔々、ルーセンの一人の男の子がどうしても自分の願い事を叶えたくて、なんでも願い事を叶えてくれると言う氷の神殿へ行きました。その神殿にはたくさんの不思議な扉がありました。ただ、一つだけ、何でも願い事を叶えてくれるという扉はどんな屈強な男の人でも、大勢の人がやっても、呪文を唱えても開きません。ところがどうした事でしょう? そのルーセンの男の子は特別な力も魔法も待ちいないのに扉を開いてしまったのです。そして、男の子を扉に招き入れると再び扉は閉ざされました。どうしてでしょう? おしまい』
「セーラ、真面目に話してる?」
二人の眼差しがお互いを非難するかのような色を帯びる。
「その先はわたくしは知らなくてよ」
自分の正当さを誇示するように胸を張って言うセーラ。まさか、約束の魔法が仕上がらなくて、お預け状態のまま、忘れていたとは口が裂けても言えない彼女である。
怪訝げにセーラを見返すエコだが、今はそんな事を追及している場合ではなかった。さっき程から、空気が異常な冷気を伴ってきている感じがしていたのである。あの居心地のいい光は消えてしまったのか、吐き出す息が白く凍って見えていた。
「セーラ、何だか急に加速度的に寒くなっていない?」
セーラの琥珀色の瞳が悪戯げに輝いた。
「どうしたの、怖いのエコ?」
セーラを無視して、エコはリナを見た。どうやら、寒さを感じているのは自分一人だけらしい。
そうか! 二人はルーセン祖母手製の外套衣を着ていたっけ。あの白い外套衣は寒さも防ぐ。という事は…。
「セーラ、どうするか考えてる?」
「声が震えているわよ」
エコのエメラルド・グリーンの瞳がげんなりした色を 湛えた。まったく、名門の貴族の皆さんはこんなに性格が悪いのが多いのだろうか。ぜんぜん素直なところがない。そういえば、フィンさんも確か、貴族の出身とか聞いたけれど。
「ぼくは君達のようにルーセン祖母の外套衣がないから、寒さを感じているだけだよ」
セーラは自分の外套衣を見下ろした。
「本当かしら? なんなら交代して証明してみる?」
「いい加減にしないと、怒るよ! ぼくは本当に寒いんだよ!! わかった、セーラ!!!」
エコの気迫に一瞬、目を見開いてたじろぎかけたセーラだが、簡単に素直に折れないのが彼女である。
「だったら、寒くないように魔法をかければいいでしょうに」
「さっきから魔法はかけているけどね。太刀打ちできていない。この寒さは以上だ」
「じゃ、二人で…」
「セーラ! そんなに悠長にしてないで、ほら、ぼくの話している息も凍っているだろ? 少しは真剣に」
「私はいつでも真剣よ!」
そう、いつでもセーラは真剣である。おふざけをするのも含めて、どんな時でも真っ直ぐにその琥珀色の瞳に闘志を燃やして挑みかかるように向かっていく。一瞬でも隙を見せたらお終いだと考えているかのように。
「…、やはり、はじかれたか…」
ため息混じりにフィンが呟いた。コバルト・ブルーの瞳には驚いた様子は見られない。
彼の隣りにはキトゥンがいた。二人は校庭の氷の神殿の前にいる。
「当たり前でしょう。私達オール・セインツだって、無理なのよ。選ばれた者だけの特権なのに、貴方って人は無理やり仲間に加わろうなんて…。暴挙が過ぎるわ」
「別に、手はだしていないけど」
「私達は部外者として、待つべき者なのよ」
涼やかな眼差しでフィンはキトゥンに尋ねる。
「君らしくない言いように聞こえるけど。君の口癖の『今すぐに!』は何処いっちゃんだい?」
キトゥンは氷の神殿から視線を移した。深緑色の目線を心持ち下げ、フィンを興味深げに見遣った。彼女の背はフィンより、4cmほど高い。エコとセーラの身長差と似たものがあるが。また彼らとは違った雰囲気を醸し出している二人組である。
「あら、私は自分の分別をわきまえているだけだわ」
「そうかい? 図書館のあの“開かずの間”を見ている君をよくみかけたけどな」
兆発するような言葉にキトゥンはやれやれと、首を振った。
ダイナ学園図書館にある奥の開かずの間には、過去に封印されたまま眠っている、数々の古書があるという噂が流れていた。キトゥンも含め、オール・セインツもその真偽については何も知らなかった。学園にある唯一開かれない扉。今すぐに! でも開けられるものなら開けて、真偽のほどを確めたいキトゥンである。
エコは寒さで気が遠くなるようだった。魔法はちっとも、効果を発揮していないし、寒さは急凍冷却状態である。
彼の歯はだいぶ前から、ガチガチと耳障りな音を立てていた。
エコは暖炉の火が恋しかった。炎の温もりに手をかざし、その赤色系の彩りを眺めていたかった。が、現実は過酷である。白一色の冷た過ぎる世界が眼前に広がるばかりである。
村の皆はどうしているだろう? この学園みたいに特殊じゃないから、春は穏やかに始まっていることだろう。雪のあまり降らないエコの故郷。春の暖かな日差しを、新芽が芽吹き――。
突然、エコの中には不当な待遇に抗議する気持ちが沸き起こった。どうして、ぼくがこんなところで、ぼくは、ぼくには…。
――突然、強烈な閃光が一面に広がった。三人は思わず眩しさに目を瞑る。
それでも、瞼の中に光のかがり火をみたような感じがあった。
エコは原始の――。
セーラは誕生の――。
リナは大地の――
これが、《聖なる火》なのだろうかと、おぼろげに思った。あまりにも優しく綺麗な火の輝きである。
今日は『雪見祭』の当日だ。明日から一瞬で春になるダイナ学園。校庭ではこの冬最後の盛大な雪合戦が始まっている。この日は毎年、全学年入り乱れての最後の雪遊びとなる。
「どうじゃな、具合は?」
白い髭の優しげな初老の男性が医務室のエコを見舞いにきていた。
エコは氷の宮殿から帰ってから、去年と同様に熱を出して寝こんでいた。もちろん、セーラは元気である。
今ごろは雪合戦の先陣をきって、大きな雪塊を投げつけている頃だろうか、琥珀色の瞳に強い闘志の輝きをさせて、とエコは考えていた。
「残念です、マシュー先生。今年も…」
このマシュー先生と呼ばれたは初老の男性は、エコとセーラの担当教官である。エコの故郷の村長と仲の良い友人同志でもあり、エコがこの学園の奨学金の特待生となる機会を与えてくれた人でもあった。
「まあまあ、まだまだ人生はこれからじゃからのぉ。おお、そうか! 迂闊だった。エコはセーラと一緒に『雪見祭』が楽しめないのが残念なんじゃな。なるほど、 なるほど」
エコは力いっぱい違うと否定したかった。が、熱の為に起き上がれない状態ではそれもかなわない。気力が熱にあらかた持っていかれたような気分がしていた。それに気にかかる事は他にあるのだ。
「あれが《聖なる火》で聖人の“かがり火”だったのでしょうか?」
「さてなあ…、どうじゃろうてー。わしは見ておらんし…」
「先生はご存知なのではないのですか?」
「エコよ。わしは自分で見たものしか信じないと前に言わなかったかな」
それはよく知っていた。でも、先生は魔法書等から、事実を知識としては持っているはずなのである。
あまり、考え過ぎんとゆっくりと養生するんじゃな。と、言い置いて、マシューは医務室を出ていった。
セーラはもう、レポートを仕上げたと言っていた。彼女はどういうふうにレポートに纏めたのだろう? リナはどうしたろうか?
扉をノックする音がして、思わぬ人物が入って来た。エコは自分の目を一瞬、疑った。
「やぁ! 加減はどうだい?」
フィンさん?! コバルトブルーの瞳が、今日は少し和らいで優しげに見える。気のせいかも知れないとエコは思い。熱に浮かされている為なのだ、などと《聖なる火》探索隊の時と違うフィンに戸惑っていた彼である。
「フィンさん…。本当にフィンさん?」
これじゃ、誰かさんの言い方みたいだと赤面するエコだ。
「…変な事を聞くね。なんだか、顔色も赤いし、雪合戦を観戦しに行っている校医の先生を呼ぼうか?」
「…いいえ、大丈夫です」
「セーラ先輩。急に立ち止まって…」
リナは校医室から出てくるフィンに気がついて、言葉を飲みこんだ。熱がある為、誰かが見ていないといけないので、エコは校医室に寝かされていた。
セーラはリナを押し戻して、フインから死角の場所に身を隠そうとした。頭を出そうとするリナの黒髪の頭部を後ろへ押さえつける。
「どうして、隠れるんです?」
「隠れてなどいないわ。こちらに気がつかれないように配慮しているだけですもの」
リナは目をぱちくりさせた。時々、セーラの言っている意味がわからなくなる彼女である。
「絶対にあやしいと思わなくて。あのフィンさんがエコを見舞うなんて…」
リナは怪訝げな表情のセーラを見て、ニマッ! とした。つぎの瞬間、セーラに睨まれるような事を口に出して、後悔をする彼女である。
「セーラ先輩ったら…。どちらが本命なんです? エコ先輩、フィンさん? 私としてはだんぜん絵になるフィンさんの方がお勧めみたいな。金髪の恋人同志なんて素敵…」
セーラが冷たい目でリナを睨んでいる。リナは竦みあがった。綺麗な人は怒ると凄みが出るものだと感心しながら。
「本命ってなんのことかしら? わたくしは、あの非協力的でお友達がいのなかったフィンさんが何の目的もなくて、エコの見舞いに来ているという事実が信じられないだけです。貴方、納得がいって?」
そういえば、そんな気もするとリナは思った。
彼女達はエコのいる医務室を素通りし、フィンの後を注意深く追う。もう、気分はフィンの追跡で、エコの見舞い所ではなくなっていた。この前の一件でセーラはフィンに対して、何か複雑で特別な思いを抱いているようである。
エコが眠りから醒めると、辺りは薄暗かった。校医室の壁が眠りに邪魔しない程度にほのかに緑色に光っている。校庭では『雪見祭』の最中だろうか? 校医の先生の姿も見えない。エコは声に出してセーラが話してくれた『おとぎ話』を復唱してみる。
「昔々、ルーセンの一人の男の子が…………そして、男の子を扉に招き入れると再び扉は閉ざされました。どうしてでしょう?」
謎かけみたいな感じでセーラの話はおわったけれど、このあと男の子はどうしたのだろう? 願い事はどうなってしまったのだろう? キトゥンさんとフィンさんは知っていたみたいだから、さっき、フィンさんに尋ねてみれば良かったな。そうだ、図書館のティーナさんにでも後日、尋ねてみよう。
「…どうしてでしょう? それは男の子の願い事がかなった為です。その男の子は大陸と違うところに誰にも支配されない土地で自由な学園を作りたかったのです。その男の子の願い事はかないました。地図にはないけれど、確かにある場所あのダイナ学園を創設したのはこの男の子の一途な願いごとのおかげでしたとさ。めでたしめでたし」
いきなり聞こえてきた知らない声にエコはギョッ! となって、上半身を起そうとした。
「あらら、驚かしたかな? 悪かったね。ああ、起きなくていいよ。姿を見せるから」
ポッ! と、灯りが空中に浮かんだ。灯りは声の主とエコの姿を浮かびだす。
声の主は見た事もない青年の顔だった。栗色の髪に栗色の好奇心旺盛そうな瞳がエコを見返している。学園の者ではなさそうだが、学園にはいろいろな人達が招かれるから、この人は雪見祭の招待客なのかもしれない。エコはそう思った。
「あの、『雪見祭』は校庭で開催されていると思いますが」
「ああ、綺麗だね。そういえば、あれにつられて今年は沢山の精霊達の《聖なる火》も混じり出していたなー。おかげで今年はいっそう華やかで素敵だよ」
思ってもみなかった言葉を聞いて、エコは上半身を完璧に起した。
「《聖なる火》って、精霊の“かがり火”のことなんですか?」
「あれ、知らなかった? 変だなー。君は確か…」
「人間と精霊の“かがり火”があるなんて今まで気がつきませんでした。校庭の“かがり火”はてっきり…」
青年は微笑すると、エコの方へと右手を差し出した。
「君は冬の精霊王の“かがり火”を見てあげて、誉めてあげただろう? これは、そのご褒美だよ。大陸の春も呼んでくれたことだし。遠慮はなしだよ」
青年は自分の右手に握っていた物をエコの手に握らせた。それは、不思議な形と光彩を放った宝石のようにみえた。青年が握っていたせいだろうか、それは温もりに満ち溢れて感じられた。こうして手の上にのせていると何故だかとても、身体に染み透って心地よい。
「さてと、そろそろ戻らないと」
青年は言うが早いかで空中の灯りとともに扉から出ていった。
ぼーっと青年のくれた贈り物をエコが浸っているうちに、すでに青年の姿はなく、エコはお礼を言い損ねてしまった。
明日、シナンに向かう船の出航前に捜して、お礼をきちんと言わなくっちゃ。もちろん、熱がしっかり下がって、校医の先生のお許しが出ればのお話である。でなければ、誰かに頼まなければならなくなる。
「それで、その品物はどうしたの?」
セーラが寝ているエコを見下ろして、疑り深い眼差しを向けていた。
「だから、寝ている間に、何処かに…」
セーラはわざと大げさなため息をついた。
「これだけ魔法も使って捜して見つからないのよ。貴方、夢を見ていたのね。さっさと、熱を下げるように努力して、もう一度、夢の続きでもどうぞ。わたくしはそんな夢に付き合わなくてよ。来年こそは聖人の“かがり火”を探すつもりなのですから」
「セーラ先輩。エコ先輩は病人なんですから、可愛そうです」
相変わらず懲りないリナであった。口は災いの元である。セーラの矛先はリナへと急反転をみせた。
「エコ、良かったわね。リナが貴方の夢に付き合って、船着場でその夢の御仁を探してくださるそうよ」
リナが「そんな」とか、「一人ですか?」とかぶちぶちと言っている間に、セーラは突風の如く踵を返して出ていってしまった。
「エコ先輩、どうしましょう?」
エコもだんだん、自信が持てなくなっていた。貰ったはずの物が目覚めてみると何処にもないのである。寝いてるうちにもしかしたら食べてしまったのではと思って、体の方も魔法で調べてみたのだが見つからなかった。
「もう、いいよ。ご免ね。君にも迷惑をかけちゃって」
あれは、本当に夢だったのか? あんなに鮮明な夢は始めて見たし、知らない相手がでてくる夢っていうのも…。納得のいかないエコである。
「ティーナさん、実はお聞きたいことが…」
セーラは『おとぎ話』を確める為に図書館に来ていた。エコが話した事が、自分が知らない話の続きが、気になっていたのである。ルーセンの事で知らないことがあるというのが許せなかったせいでもある。
『銀世界にひとつ――
想いがひとつ、また、灯火した
雪上に、ひとつの想いが魔法のかがり火を宿す。
ひとつ、ひとつがそれぞれの想いを抱えて
雪の最後の夜を彩って
翌朝には春の爛漫の花々を咲かせる。』
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これは、氷の神殿の扉に刻まれていた詩(うた)である。
ちなみに、作者名はダイナ学園創設者となっている。
――かがり火・完――
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